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玄海樓店主のきまぐれなひとこと
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古筆切に欠かせないものに「極め札」があります。
 

古筆の作者の名前が書かれてあるものです。
 



他に正筆書や折り紙、貼り紙、副簡極、添え状などがあります。
 
 
一般に
「極めつけ」とか「札付きのワル」とか
「あの人は折り紙付きの・・・」などと
いいますが、それはここから来ています。
 
 
それらを書く事が許されたのは

「古筆了佐」を開祖、初代とし、代々受継がれてきた

「古筆鑑定家」の人々です。
 

茶の湯が盛んになり、古筆が切断され、
その蒐集が流行すると
それらの鑑定が必要となってきました。


そこで鑑定専門家が生まれたのです。
 
「古筆」という姓は豊臣秀次より賜り、
古筆鑑定の目利きは近衛前久から了佐自身に伝授されました。
 
 
以後、必ずしも長子相続ではなかったのですが
「古筆目利き」を引き継ぎ、
或いは門下生が新たに目利きを行い、
これが昭和初期まで続きました。
 
 
彼らは明らかに古筆鑑定を業としていた訳ですが、
 
この頃よく

「古筆家の札は信用できない」とか

「古筆家の鑑定はいい加減である」

という言葉を耳にします。
 
 
本当に信用できないのでしょうか?
 
 
書画類の名前を表記する時に

「伝〇〇」や「伝××筆」などと

作者名の頭に

「伝」

という文字が表されることがあります。
 
およそ
「〇〇が書いた(描いた)とされる・・・」
というような事です。
 
 
ただ、古筆の「伝」とそれ以外、即ち古書画や近代の書画に付される
「伝」とは
全く意味合いが違うという事を知って戴きたいのです。
 

古筆の「伝」は分類上、便宜上の名前に冠せられるもので
実際の作者の名前を断定したものではありません。
 
 
 
有名な「高野切」という古筆切があります。
 
これには
「第一種」「第二種」「第三種」
と明らかに違う書風が少なくとも3種類あり、
今では名筆家3人の寄合い書きであると
いうことになっています。
 

しかしながら、これらは全て
「伝紀貫之 筆」
という事になっています。
 
貫之の生存していた時代にはこのような「かな」は存在していないので
書いた人物が貫之である可能性はありません。
 

ではどうしてなのでしょうか?
 
 
日本では古来より書かれた書物に
作者の名前が署名される事はほとんどありませんでした。
 

それ故ほとんどの古筆には「伝」が付けられています。
 

ただ、歴史的に書かれたという事実やその人物が書いたという
証拠(署名等)がある場合には
「伝」は付きません。
 
 
 
では名前はどのようにして付けられるのか?
 
 
「権威付けの為」とか「高貴な人程、高値で取引できる為」

などという方がおられますが

私はそうは思いません。

 
少なくとも古筆家が出てくるもっと以前に
何らかの手がかりや伝承があった筈なのです。
 
 
一口に古筆切といっても
その種類や数は現在より遥かに膨大なものです。
 
 
勅撰集だけに限らず、私家集や未詳歌集、歌合、物語、その他にも
様々なものがあります。
 
また、筆者も同一人物にしても時代や状況、箇所によって
書風が変わる場合があります。
 
 
それらを全て系統立てて分類し、あらゆるものを鑑定、見極め出来たのは

他の誰でもない、古筆鑑定家なのです。
 
今と違って、様々に散逸したデータを集約し、内容を理解して
確実に資料とするのが困難な時代であったにも係わらず・・・。
 
 
事実、古筆鑑定家の極め方には
必ず定められた法則があります。
 
 
それを細部に亘って申し上げる事はしませんが、
京や江戸といったように場所が離れていても、
親子どころかそれ以上時代を隔てた間でも、
必ず、同じように鑑定され、一定の名前で極められているのです。
 
 
それでもいい加減な鑑定だといえるでしょうか?

信用ができないでしょうか?
 
 
当方の経験からいうと
京古筆家(本家)殊に江戸期に限って
その信頼度はまず満点です。
 
 
平安期の古筆切には
贋物が多く、江戸期の写しもあります。
 

それらに付いている札のほとんどが
間違いなく「極め札の贋物」です。
 

またその贋物の札には京古筆家の札のニセが多いことも事実です。
 


これは逆に古筆家が信頼されていた証拠ではないでしょうか?
 
 

古筆鑑定家の仕事とは
筆者をあえて高貴な人物に擬したり、
断定し、モノに付加価値を付けたり
高値にすることで目利き料を吊り上げるような事では決してなく、
 
古来より伝わった伝承を大事にし、
文学、書物などあらゆる学問に精通、
見極めできた「鑑定」というもので
あったに違いありません。
 
 
古筆鑑定家の偉業は古美術の業界だけでなく、
日本の歴史に多大なる功績を遺しているのです。
 
 
鑑定の神様ともいえる「古筆了佐」は私にとって
永遠の憧れであり、

決して誰にも追随し得ない人物であったであろうと
思えてならないのです。
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