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玄海樓店主のきまぐれなひとこと
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我々がこの世界で生きてゆく上で
絶えず頭を悩ますものに

まず資金繰り、そして

「真贋」の問題がある。



いわゆる本物とニセモノの判断や区別を

いかにするかということである・・・。
よく極め書きや鑑定書に

「右 紛れ無き物にて・・・」

などと書かれてあるが
一体どこまで信用できるだろうか。


真贋の問題は
何も今に始まった事ではなく、
中には作品が作られた当時から、作者が生存していた当時から
贋作が作られているものもある。



では何故贋作が作られるのか。


作者が有名になればなるほど

その数は増えてゆく。

巷で売買されることから
高値がつくもの程、その贋作は後を絶たない。

本来、人間的で生産的な、好むべきものである筈のものが
贋作という悪意の存在により
人々との距離を産んでしまう。

そして、古来から人々を惑わし、悩まし続けて来たのである。



「これはニセモノ」
と言われた時点で、判った時点で
失望、落胆、自己嫌悪といった
実に不愉快な思いにさせられる。


一般に「贋作」と呼ばれるものの中には
悪意の無いものも存在するが、
逆にそれは「贋作」とは呼ばないのかもしれない。

臨書や模写、習作といったものは
「贋作」とは言わない。



慈雲飲光という
よく知られた真言宗の僧が江戸時代後期に存在した。
彼を人は「慈雲尊者」と尊称し、
敬愛した。

また雲伝神道の開祖、藁筆で書いた書に人気があり
能書家としても知られる。

彼にまつわるエピソードは数えればきりが無いが、
ある一つを紹介する。


彼には弟子が多数いたが
ある時、弟子がこう言った。
「お師匠さま、巷ではお師匠さまの書かれた書の
ニセモノがたくさん出回っています。
しかも高い値段で売られています。」と。

そこで慈雲はこう言った。
「何もわざわざこしらえてまで売らなくとも、
わざわざ高い値段で買うことまでしなくとも
此処へ来られればいつでも書いて差し上げるのに・・・。」



いかがであろうか。

このような方であったこともあり、
益々慈雲の人気は高まり、
人々が敬愛したのであろう。

この時、贋作者は自ずから否定され、
存在の無意味さを痛感したに違いない。


芸術家や人の上に立つべき人間は
かくあるべき、とさえ思う。

(つづく)



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