今日は 「料紙・本紙」 について考証する。 いわゆる書(描)かれた 対象であるが主に 紙本と呼ばれるいわゆる紙、 絹本と呼ばれる絹地 の大きく2つに分かれる。 一般に紙本より絹本の方が傷み易く、 保存も難しい。 加えて、紙魚抜きや表装を修復するのにおいても 絹本の方が難しい。 だからという訳ではないだろうが、 紙本より絹本の方が珍重され、価格も高い。 現存する料紙は 奈良・天平期の紙本は多数あるが、 絹本においては鎌倉期頃のものからで 平安期のものはあまり無い。 しかも鎌倉期の絹本はほとんど仏教絵画で 書のものはあまり見受けられない。 このようなことから おおまかな判断材料となる訳だが、 「絹地切」のように 平安期のものも例外としてある。 但し、「絹地切」が日本のものであるかどうかは 不確かではあるが。 料紙は言うまでも無く 時代によって紙質・絹質も異なり、組成や繊維等から 時代判定ができる訳だが、 近年、科学的に炭素含有における時代測定が可能となった。 即ち、尤も正確な時代が確定される訳である。 このことは 先進技術の光明であり、 我々にとっても誠に有難く、素晴らしい事なのである。 言い伝えや伝承から 「これは〇〇時代のものだ」 と一般に認知されてきたものが もしかすると 大きく覆される可能性を秘めている。 常に真実を知ろうとする欲求が あまりにも強いこの私には 胸が高鳴り、ワクワクしてならない。 自分なりに あるものを時代を推測・断定しても 言い伝えられた歴史や周りの曖昧な推測・判断から 否定されることがままある。 が、この事により 逆に立証できるのだ。 事実、 僅かではあるが こちらが正しかった事が判明したものがある。 その時代にしか使用しなかった、 その人しか使えなかった、 その時期にしか使わなかった、 その地方にしか無かった、 その為にしか使用されなかった、 そんな料紙がある。 また、どんなに似せようが 忠実に復興したものでも グッと凝らしてみると やはり違うのである。 例えば「良寛」。 「良寛は魔物だ」と言われて久しいが 真贋を判断するのは大変難しい。 おそらく墨跡の中で 最も難しい人かもしれない。 が、間違いない良寛真蹟の紙には ほとんど共通性がある。 言い換えれば 良寛が使用しなかった筈の紙に書かれたものが 巷では随分多く、また「真蹟」として出回っているのだ。 勿論筆跡を分析することは大事であるし、有功である。 しかし、当時の書家や贋作者が 技術を持って流麗な書を書き上げている限り、 少々の書を目利きできるくらいでは 良寛の判別は不可能である。 むしろ、書として成り立っているものは ほとんど贋物といってよい。 いくら字母分解しても 草体を崩しきった極みにある文字を判別するのは 容易ではない。 料紙を覚えることは 一つの鑑定基準を身につけることなのである。 PR
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