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玄海樓店主のきまぐれなひとこと
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今日は

「落款・印章」

について述べる。



古書画の鑑定において

「落款」は

最終的判断を下す、また
ほぼ絶対的条件といっても
過言ではない。


いくら画がよくても、書がよくても
落款が悪ければ

それは真蹟とは呼べない。


落款には作者の「署名」と捺印された「印章」の二つがあり、
元来「署名」のことを指していたが、
現在では「印章」のことを指すこともある。

署名は作者独自のものであり、
年齢によって変化する場合が多い。

よってその作品が何歳頃、何年頃の作か判明する。


ただ、贋作者は「署名」を重んじ、
忠実にその形を真似ているので

要注意である。

その巧妙さは驚くべきものがある。


従って「印章」が重要な判断基準となるのだが、
この「印」にも「偽印」が存在する。


それぞれの作家の「印章」は
「真印」を覚える他に方法は無いのだが
無数にある「印章」を

朱文か白文か、
形状は、寸法は、
文字の線の太さ、長さ、歪み、並び、
線と線の間隔の大きさ、
捺印の仕方(いわゆる印付き)等

全て網羅するのは至難の業である。

有力な書画商の方々は
有名な流通価格の高い作家の
代表的な「印章」をまず覚えておられる。


しかし、仮に完璧に覚えていなくとも
ある程度様々な「印章」を数見ることで
およその見当がつく場合もある。


例えば「長崎派」。
来舶の中国人やそれに倣った画家達の
画の流派であるが、
彼らの捺す印は必ずと言っていい程

印付きが頗る良い。

印相も実によく、文字の線もピリッとした
佳い「印」である。


故に「印態」の悪い長崎派の画は
まず贋物であろうということになる。


最近では流石に過熱さが薄れてきたが
近代中国絵画の巨匠「斉白石」。
(日本語読みでは「さいはくせき」ではなく「せいはくせき」が正しい)

彼の印は刀が立った、強く素晴らしい線でなければ
それは偽印である。



これとは逆に例外もある。

日本文人画家の巨匠「池大雅」。

「大雅」の印は数多く
また作品も多数あることから
使用された印も多く、使用頻度も高かった筈である。


私はこの日本の文人の中でも

「大雅」が特に好きである。


京で過ごした大雅は
清貧に甘んじ、その作品は
気品高く、格調高いものがある。

描かれた空間のみならず、
画面の奥には大きく広がる世界があり、
線も強く、観る者を圧倒する。


無論、中国の故事やあらゆる教養に秀でていたのだが、

彼は「印章」に特別な執着を持っていなかった。

文人とは印章に殊の外拘るものだが、
彼だけは特別である。


国宝の「十便十宜帖」。
これがまさに典型的なのだが

与謝蕪村がその性格からか
几帳面に賛だけでなく印を捺す処に気を遣い、
作品によっても印そのものも場所も替えたのに対し、

「大雅」のそれは印が三つ、しかもどの作品にも
同じ位置に捺してある。

作品全体の情感や中身を大切にした彼ならではのことだ。


なお、他の作品にも
大雅は印を捺す場所に神経質な所は無い。

捺し方も歪んでみたり、印付きも悪い。
中には逆さまに捺したり、二度捺しして二重になっているものもある。

印文が全く読めないものまである。


それが却って温かみを感じ、微笑みさえ浮かぶ。


このことからも
大雅の印は彼独特のものであるといえる。

あまり印付きが良過ぎる大雅は逆に怪しい。

はっきりした印影に偽印が多いことも事実だ。


有名な「下駄印」と呼ばれる足跡のような半円と逆半円の
「霞樵」の印がある。

また同時によく捺される「前身相馬方九皐」の冠帽印がある。

この印は二種類あるとされている。

文字の線が太めの印と細めの印だ。

あまりに捺す頻度が高く
摩滅したか失ったことで
新たに造り直したという説がある。


そうでなければ
国宝、重文指定の作品や、有名な大作、傑作が
全て真蹟として統一できないからだ。


私自身、僅か20年余の経験からみて
前者の「霞樵」印は
文字の線が太いもので三種類あると思っている。

色々と検証してきた結果である。

作品は全て佳く、しかもそれぞれが微妙に違う印なのである。


それはいずれかが「偽印」だと
いう方がおられるかも知れない。

だとすると
これまで「真蹟」とされてきた作品のうち
一部は贋作ということになる。


まだまだ研究がなされることを願ってやまない。



形や線だけ合っていても
寸法が僅かに違うということがある。

だが、絹本の場合洗うことによって
縮んで収縮することがある。

線が歪むこともある。



一概に「印」が違うとは言えないことがあるのだ。



印のみに執着すると
肝心の中身への理解が失われる。

ある同業者の方は店の従業員に
いい「印」のみ覚えさせ、「印」だけで真贋を判断させている。


これはある意味危険なのだ。


無落款の画に「真印」を捺されるとどうなるだろうか。


「円山応挙」のように
「工房作品」があったかどうかは別として
弟子が師匠である「応挙」の真印を自分の作品に
捺印した事実があるからだ。


今に限らず、
中国では印影から完璧な印章を作り上げる。

その印で捺されれば、誰にも判断つかないのである。



偽印を捺されたものには、まず真蹟は無いであろう。

が、形が「真印」だからといって全て真蹟だとは限らない。

どうみても絹が若い(時代が下がる)のに
印がいい場合もあるのに、だ。


現在の日本の書画業界では、
印さえ合っていれば

まず真蹟として認められる。


業者のみならず、学芸員、研究者も同様である。



しかし、
余りに「印」のみに囚われ過ぎると

危険だということを忘れてはならない。
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コメント
無題
ブログ拝見しました。書画に明るい方とお見受けしました。私も「朝亭山人詩書画印マクロビオ記」と称して書いています。
池大雅も持っております。いつかブログに画像を載せます。
【 2011/02/27 14:43 】 NAME[ 朝亭山人 ] WEBLINK[  ] EDIT[  ]
御礼
コメント有難うございます。
御ブログ、またゆっくり拝見し、勉強させて戴きます。
とり急ぎ。
【 2011/03/03 11:31 】 NAME[ 一毛録管理人 ] WEBLINK[  ] EDIT[  ]


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