「器」といっても よく「器が小さい」とか 「あの人は器が大きい」 などと表現されるが、 その尺度はどこから来ているのか・・・。 若い折(10代~20代の話)には 実に様々な方から 「もっと大きくなれ」 と言われたものだ。 事あるごとに 悩み続けていた私は 今から思うとちょっとした「壁」に 当たっただけで くよくよしたものだ。 日々、「怒り」を胸に、 「怒り」こそ逆境に打ち勝ち、伸びてゆくと信じ、 何かと戦う事だけを念頭に置き 生きていたような気がする。 殊に仕事に於いては 修行時代、使って戴いた主人との 確執は 知る人ぞ知る苦悩の連続だった。 胃・十二指腸を二度も痛め、 体も今よりずっと痩せていた。 半分人間不信に陥っていたともいえる。 そんな中、 知り合い、親身になって戴いた方々には 本当に助けられた。 こんな私の為に・・・ 今でもその感謝の思いは無くなる事がない。 きっといつか これからの人に 何かしてあげられたら、と思う。 「これは順繰りだから」 とある方がそう言われた。 現在では その主人とも何も問題なく、 お互い平常で居られる。 挨拶や会釈までして戴けるようになった。 人間とは不思議である。 「北風と太陽」という話がある。 旅人のコートを どちらが脱がせられるか、という アレである。 どんなに権力や資力を振りかざしても、 心を動かすモノには 決して勝てない。 またその心を動かす「モノ」は 目に見えるものではなく、 はるかに大きく、確実に存在する。 人々の心を動かす事は 並大抵ではない。 しかし、感動を与え、喜びや幸せを もたらしてくれる美術品が 此処にある。 そしてまた 私自身も「太陽」のように 大きく成長してゆけたら、 と思う。 PR
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