売り物ではなく、 あくまで個人所有の印なので 深くは述べないが、 「自分は好む処に従う」 といった意味である。 この世界、 収集家は勿論、 愛好家の中にも 「これは名品だ」とか 「これだけの品なら欲しいな」 といった感情があることと存ずる。 方向的には 好む方向、といったところであろうか。 人への感情にも似た処がある。 例えば相手に好意を抱いていたとする。 少しでも近づき、また会話をしてみたい、と思う。 その相手が自分が尊敬できるような人物なら尚更だ。 ただし、上記2つの事に共通していえる事は、 単なる好きである、とか好き嫌いで 決定される方向ではない、という事だ。 「 真 ・ 善 ・ 美 」という言葉がある。 仮に個人的に好きであったとしても、 その方向がその三つを満たしていない、 方向的に間違っている、という可能性があるのだ。 およそ、真理的な部分を理解した上での 「好む処」なのである。 好ましいもの、とはそういったものなのであろう。 好きだから、欲しいから、といって その対象になるものが手に入るとは限らない。 また、その執着によって 自分自身を見失う可能性も秘めている。 身の丈、とか分相応、わきまえ、といった言葉が 日本には存在する。 当人としてはあまり好きではない言葉であるが、 それは自分自身で感じ取らなければならないのかもしれない。 一歩、一歩、 順調に、かつ確実に 前進しながら 己を確かめ、成長し続ければ、 自ずと道が開け そのキャパシティなるものが 広がるのであろうか。 いつの日か、 好む処が決して間違っていなかった、 これで良かった、と 胸を撫で下ろし、 歩んで来た事に誇りを持てる、 そうありたいと願っている。 PR
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