3月3日、雛祭りである。 女の子の健やかな成長を祈る節句、 年中行事の一つである。 中には「ひいなあそび」とも呼ぶらしく、 本来、旧暦の桃の花が咲く季節(3月上旬)、 そこから桃の節句と呼ばれたらしい。 元々、平安時代、貴族の子女らによる 雛遊びが起源らしいが(流し雛など) 本格的に飾られ、祭化したのは 江戸時代以降との説がある。 いずれにしても、 万国共通、いつの世も、 人形遊びは女の子の 遊びごとなのであろう。 またその人形が、 厄除けで身代わりとなってくれ、 本人が災難無く、健やかに成長するよう 祈りがこめられていたのだと 思う。 親にとって、 特に女の子には 大切にしたい、 いい処へ嫁いで行って欲しい、 そんな思いがある事と思う。 貴族のみならず、 時代が下がると共に、 「嫁入り道具」というものは 民間へも浸透し、 華美なものと変遷してきた。 その中に、 「古 筆 手 鑑」がある。 あらゆる名筆家による 書跡の断簡である「古筆切」。 それらを、アルバムのように 貼り巡らした、宝が詰まった本である。 本来、鑑定用に作製されたのであるが、 古の名筆ばかりが寄せられた「手鑑」は 上級階級の人々にとっては 宝物そのものであった。 無論、一般のお宅に 存在している事は無いのであるが、 「手鑑」を所持している事は ある意味、自慢である。 当方も未だ勤めていた頃には 実に多くの「手鑑」を観、扱い、 触れてきた。 独立してからも、 恐らく二度と手に入らないであろう「手鑑」も 商ってきたし、目にしてきた。 最近では、 なかなかいい「手鑑」に遇う事が 少なくなってきたが、 まず、題箋を観、 1ページ目(変な表現だが)を めくる。 その次にはどんな切(古筆切)が 待っているのか。 その思いは、 何物にも変えられない、 ドキドキ感で一杯なのである。 仮に平安期の切であったり、 鎌倉期の名物切であったり、 それを見つけた時の 喜び、感動、希望感は まさに美術商冥利に尽きる。 これからも 更なる「古筆手鑑」を 探して、見つけて、商って・・・、 その思いは変わらないのである。 人々の それぞれの 雛や娘に対して、 大切な思いが届いて、 またその思いが 叶えられるように、 それと、 当方にとって もっと素晴らしい「手鑑」に出遇い、 皆様に提供出来る事を 祈って止まない。 PR
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